2006年9月 6日 (水)

国際語

国際語といえば英語?

もうひとつの国際語。
手話といものがあります。

話しながら、手話も使ってるかたがいますね。
身振り手振りで英語が話せなくてもも通じちゃう。

青いうさぎ(でしたっけ)などで一時的にブームにはなりますが、
韓国語ほど定着はしないようですね。

耳の聞こえない人や口語ができないかたが使うものですが、
これができると、
まわりのやかましいところで、通じる。
静かにしなければいけないところでも会話できます。

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2005年9月28日 (水)

フリースクール

文部省認定の教科書を使わないフリースクール。

いろんな年齢層の人が集まる。 登校拒否だったり、社会のおちこぼれと言われた人の巣窟的に言われがちなフリースクールだが、新しい育て方をしていけばそれはそれですばらしいものになるはずである。

私立の学校にいれても、やはり文部省の指導がくるのは否めない。

国際的に活躍する人を育てたくても、今の日本には極わずかにあるだけである。

何かに秀でたものを育てたいときに、フリースクールは有効的である。

学校との違いはいくつかある。

より優秀な生徒は、次々と新しい問題にとりかかっていけばいいのに、日本では私立以外でのステップは17歳で高卒資格(大学入学可能)程度にとどまっている。

自分としては、教科ごとに得て不得手があるのだから、数学は中3程度の小学生がいてもおかしくはないし、中学の年齢で大学での勉強を受けるのはいいことだと思う。

日本でダメならば英国でもアメリカでもフランスでもいいから留学させればいいのにと思う。

#フィンランドのように、おちこぼれをつくらない国家もあります。

何故、家庭教師は学校にいれてはいけないのか(えこひいきになるからとかそんな理由だ

国語という授業があるが、小中高と育って卒業しても、詩や文章を巧みに表現できるようにはなってない。私はあえて国語という授業を取り払って文学という教科をとりいれたい。

そうすれば、原文の英語やフランス語、イタリア語を読むこともできるし、将来的に翻訳家や作家になる人も出てくるだろう。

古文なんかも中学あたりから習わせるのはなぜか、小学校のころから読めるようにひらがなが多く使われている文学作品も数多くある。詩や散文に触れ自分で作る能力を身に付けるのもいいことであろう。

又、より多くの文学作品を読み、触れることが感性の発達によりよい影響を与えると信じるからである。

社会にしても、窮屈な授業が多々ある。何故宗教を語るのがタブーなのか。

(宗教戦争は何故起こるのか、その起源と経緯をちゃんと知ってる人は少ない。)

特に小学校では、学問が選択式になってないので、一律の授業になりがちである。

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